過酷な第二次世界中、兵士たちは一体何を食べていたのか?【歴史解説】

#第二次世界大戦 #ヒトラー #戦争

今回の動画は

『過酷な第二次世界中、兵士たちは一体何を食べていたのか?』

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10件のコメント

  1. Dレーションは日本のガキどもにばら撒いたんだな。不評レーションも食うや食わずの敗戦国民には天の恵み

  2. 祖父が南洋興発社員で、父・叔父(父の兄」・祖母共々サイパンに赴任最中、サイパン戦に巻き込まれ、祖父は現地招集されて戦死しましたが、祖母や父達は無事帰国出来ました。

    生前、祖母からよく聞きましたが、抑留され作業にでると弁当代わりにレーションが支給されたそうです。
    Dが一番嬉しかったと言ってましたね。アメリカ兵には人気なかったようですが、祖母達にはご馳走だったようです。
    祖母がよく言ってたのは、チーズが好きだったのですが、当時はチーズなどは食べたこともなく、もらったレーションにチーズの缶詰が有ったけど、石鹸みたいで気持ち悪く、そっと土の中に埋めてだそうで、今思えば食べておけば良かったと言ってました(笑)。
    抑留施設では味噌汁や煮物が出たそうですが(日本人が調理したもの)、アメリカが醤油や味噌を用意してたのか?と思いましたら、のちに知ったのは初戦でアメリカ軍が日本軍の糧秣庫を占領したそうで、おそらくその物資を抑留者に転用したんだと思います。

    叔父は当時15歳で、アメリカ将校宿舎のボーイで採用され昼間通っていたそうですが、お土産にベーコンの塊やソーセージ缶詰、コンビーフなど貰って来たそうです。
    ただ、門で見つかると没収されてしまうため、ベーコンなどはシャツの下に隠して持って来て、皮膚が腫れてしまったことあるとかも聞きました。
    貰って来たものは当然、凄いご馳走なので叔父の帰りを一家で楽しみにしていたそうです。
    乾燥味噌や乾燥醤油などはサイパン戦以前から知ってたそうですが、まあまあだったと言ってました。ただ、醤油は煮物にしか使えなかったと(マズイ)。

    その他キャンディやチョコ(甘いやつ」は米兵が都度くれたりして結構よく食べたと言ってました。
    祖母はコーラなども貰ったようですが曰く、「サイダーくらいと思ったら、薬くさくて飲めなかった」と言ってました。
    よく聞く話しですが、アメリカ兵は野蛮で残酷な連中と聞いてたが、いざそうなると基本的に親切で話しとは全然違うと思ったそうです。
    祖母は盲腸で米軍の野戦病院で手術をしてもらったが、病院で女性軍医将校いることにビックリしたそうです(笑)。

    もう全員鬼籍ですが、この動画を見て懐かしく思い出しました。

  3. 補給が途絶した南方戦線の日本軍兵士にとっては味とかより食べられる物がある事自体が貴重だったと思う。

  4. わざわざ一つずつ指摘する気が起きないけれど、間違いだらけだぞこの動画。

  5. レーションねぇ・・。餓島帰りの爺さんは「ヘビ・カエル・ミミズ・トカゲ」が主食でそれさえ入手できないとあとは・・
    ドイツ軍もスターリングラードでえらい目に遭ったんだろうけど餓島には敵わんだろう。兵站の重要性は日清・日露で解っていただろうにノモンハンで愚を繰り返し、艦隊決戦しか頭にない海軍の対潜哨戒の軽視で悲惨な結果に。
    特攻隊は記念館も慰霊塔も建ち「可哀そう」と言って貰えるけど、餓島のジャングルで餓死した歩兵は犬死にと罵られる。同じ人間の命なんだけどなぁ。

  6. 東南アジアの子供たちに喜ばれたのは金平糖だったそうです。お駄賃代わりに金平糖を与えると山のような果物でお返ししたそうです。
    どう考えてもトロピカルフルーツの方が美味いだろうに。

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